昨日あったこと。

毎日書きたいけれどいかんせん三日坊主なので既に続く気がしないけど書きたいです。よろしくお願いします。

番外編

全然関係ないお話なんですけど、Twitterを見ていると最近よく「感想ください」系のツイートが拡散されているのをよく目にするようになった気がしました。

ということで今回は番外編で、感想、感想なぁ……。と思った私のお話。

 

まず簡単にそっち方面の自己紹介をしておきますと、私は絵や文字を書くことが好きです。趣味です。凄い上手なわけではないけど小学校の教室内では上手い扱いを受けてる程度の、それくらいの技量です。

文章に関しても、数回学校関連の何かで佳作だかに選ばれてるくらいの、下手ではないけど特別上手いわけでもないかなって程度です。

まっったく書けない人もひっくるめた中の上くらいかなと勝手に思ってます。

まあ!自己評価なので!実際は下の下かもしれないし上の上かもしれないんですけどね!私はそんなふうに自分のこと思ってるってだけです!!!

 

さて、私もTwitterをはじめとしたサイトに絵やお話を載せたりしてきました。

だからここからは一創作者みたいな顔して書きます。自称創作者の戯言ですね。

 

感想、欲しいか欲しくないかなら欲しいです。でも私は欲しいといえないです。これは、私のプライドが高いからとかそういう話ではなくて、欲しいという気持ち以上にコメントが怖いと思ってしまっているんですよね。

私は数度、やっぱりネットにお話をあげるのをやめようと思ったことがありました。

そのきっかけというのは、反応が無かったことでも、誹謗中傷が届いたわけでもありません。というか反応はなくて当然と思って生きてる人間なので、反応があると狐につままれたような気持ちになります。

 

結局、なにがきっかけだったかって、悪意のないコメントなんです。本人は悪意どころか好意をもってこのコメントをしているのだろうなと思うものもありました。それでも、自分の書いたものにコメントがつくということがあまりに苦手でした。

私がどうしても苦手だったコメントの種類は大きく分けて二つの種類がありました。

最初に断っておきますが、これを送った人はおそらく悪意はありません。面白かったという言葉とともに伝えてくれている方もいらっしゃいました。だから、ありがたい話なんです。

 

1つ目は「これは○○という意味ですか?」「○○がわかりません」といった内容です。

いや、わかります、わかるんです。理解出来ないような文章を書いた私の落ち度です。これは純粋な感想なんです。それでもやっぱり、数が増えていくと心に刺さるものがあるのですよね。そのコメントに対して私の代わりに「それはこういう意味ではないですか?」と話してくれた方もいたので、全員に伝わらない内容ではなかったのだと思います。それでも、意図が伝わらなかった時点でこちらの負けです。書き手は基本読み手を選べませんから。多分、世に出すってそういうことです。

でもさーーーーー、私ちゃんとキャプションに「初心者」「おかしなところ多々あるかと思います」「素人」「大目に見てやるよという方のみ」のようなお話ちゃんと書いてるのでそんなクオリティ求めないでよーーー私素人でこれは素人のチラ裏なんだよーーーーーーーー

という気持ちになります。

向上心のあふれる素晴らしい方なら次回以降の糧にもできるのかもしれないです。クオリティーを上げることに使えるのかもしれないです。でも残念なことに私は根本問題自分の作品にクオリティーを求めていないんですよね。書きたいものと読みたいものを書いて私が満足できたら問題無いので、特別学ぼうとも特別誰かに評価されたいとも思っていないんですよね。だから、指摘は「趣味くらい自由にさせてよ!」という気持ちが先行してしまいます。

それでも、そのコメントを書いてくださった方の気持ちを無下にはしたくありません。傷付けるためにコメントをしたわけでないと私は感じました。そして、むしろ応援してくれているのだと思いました。だから苦しくたってこれは私の人格に問題があるのだなあと思うので、形だけでもありがとうと伝えてしまうわけです。だってわざわざこんなドロドロした部分を曝け出して、相手に不快感を与える必要はないのですから。

何事も荒波立てずに行きたいです。特に趣味の世界くらいみんな幸せ笑顔で不毛な争いなくいきたいです。

 

二つ目は編集者さんのようなコメントです。

先程も話しましたが私は自分の作品でプロの世界に飛び込むつもりも、高めるために勉強するつもりもありません。ありませんと断言してしまうのは問題かもしれませんが、書きたいものを書きたいように書いて、読みたいものを読みたいように読みたいです。だから、テクニックの書いてある手法本はできればあまり読みまくないんですよ。それよりも自分の好きな本をたくさん読んだ方が自分に刺さるお話が書けるようになるって勝手に思ってるので。勉強して型に当てはめて学ぶのは学問と仕事だけで十分です。だって趣味だもん!!!!!!

……という考えが根底にあります。意識の低い創作者で申し訳ないです。そうなってしまうから添削されるのがたまったもんじゃないんですよ。しかも的確で私が納得いくものならまた違うのかもしれませんが、大体「そこどうでも良くない?」と思ってしまうのですよね。多分私にとってどうでも良いけれど、コメントをくださった方にとっては大切なところで気になる箇所だったのだと思います。でも悲しいことに私にはその部分書きになるという感性が備わっておりません。

丁寧に答えたところでその後反応があるわけでもなく、届いたのかも疑問に答えることが出来たのかもわからない状況になる事の方が多いですし、「私はこういう意志で書きました」と伝えても私の返信を無視でひたすらに自分の世界で話を進める方もいます。

そうなってくると、この人は私の書いたものへの感想ではなく、自分の意見を言いたくてコメントを書いたのだろうなと思ってしまいます。でも多分、悪意はないです。だからやっぱり真摯に答えようとして、ありがとうございますという返信と、中身への回答をしてしまうんです。八方美人ってやつですね。

 

 

これが私が作品を世に出すことを辞めようとしたきっかけです。

「え?それだけ?」って思われるかもしれません。事実私も思いました。何度も言いますが、これは別にコメントを書いた方が悪いわけではありません。ただ、コメントをもらったことにより私の心が荒れて、喜ばしい筈のコメントにマイナスの感情を抱いてしまいました。悪意のないものだからこそ、自分が余計に嫌になってしまったんですよね。

だから、コメントをもらうときにそう思ってしまう自分が嫌で、作品の内容を伝える技量が足りず、添削も考察(は、コメント以外なら私が返信する必要がないのでむしろ嬉しいものもありますが)されたくないのなら、世に出さないのが一番だと思い、世に出すことをやめようかと思いました。

まあ、結局それでもお話は書いて、書いている間に喉元過ぎればなんとやらという感じで気持ちも落ち着いて今でも当たり前の顔で投稿しているのですけどね、当時の私には堪えました。

 

こういう話をしていると、感想を送ることを躊躇ってしまったり余計にハードルが上がってしまうのではないかと思います。だから私は、さして自分に発言力があるわけでもないのに、もしも私が発信することで「これって自分のことなんじゃ」と思ってしまう人がいるのを恐れて、自名義ではこの話ができません。だって、それは善意で書いたその人の心をダイレクトに傷つけてしまう可能性があるのですから。

まあ、私みたいな考えの人が世界の8割とかなら代表して私がいうことによってこれから他の人たちが幸せになるとかなら一肌脱ぎましょうと、嫌われ役を買って出ましょうと思ったかもしれませんが、おそらく私は少数派です。この考え方は私一人かもしれません。私のように悪意のないコメントに落ち込む人よりも、感想やコメントを欲している人の方が遥かに多いと体感しています。

だから、感想を書こうと考えている人の枷になるようなことは言ってはいけないような気がしてしまいます。私が作品を投稿しているアカウントで話すことにより、私にコメントを送ることを躊躇わせてしまうのもなんだか申し訳ないと思ってしまうのです。私一人が我慢すればみんなが幸せになるのなら喜んで我慢します。……って思ってるんですけど、やっぱり、嫌なものは嫌ですし、そう感じる自分が嫌いですね。

 

コメントは嬉しいだとか、感想は喜びだとか、活力になるだとか、そういうお話、とてもよく目にします。

でも残念ながらそうでない人もここにいます。コメントは欲しいけれど、これで喜べなかったらどうしようとビクビクする気持ちの方が多いから、欲しいなんていえません。感想は嬉しいけれど、その感想に返信するほどの語彙を持ち合わせてなくて、嬉しいのに、有難いのに返信をしなければという義務感が苦しくなります。

それでも返信しようと思うのは、これまでやってきたことだからというのと、私が返信をいただいた際にとても嬉しかったという経験があるからなので、私の作品にコメントをくださった方にもやっぱり恩返しがしたくなっちゃうんです。自分の技量でないことなんて百も承知の筈なのに。

とにかく私は自分のために書いているので、応援がそのまま活力になって新作に繋がるということは殆どありません。ただ、「これの設定集欲しい」「これの回答が欲しい」と言ったものは「需要があるなら!!!」と即行作ったりします。というか、お話を書いた時点で裏にそんなのがたくさんあるのでそれを書くだけなので創作と言うとちょっと違いますね。文体もこの日記みたいに好きかって書くので労力も殆どありませんし。多分Twitter感覚で書いちゃうんだと思います。

そういった活力になることはあっても、感想をいただいたから新作を書こう!という気持ちになったことは申し訳ありませんが過去に一度もありません。

でも、感想をもらうことによって自分のその作品への愛着がさらに湧くことはとてもとてもあります。嬉しくてありがたい話です。

 

 

私は自分の作品に対して親バカなので、私の作品は読む価値があると思っています。事実気に入った作品は私自身何度も読み返します。同時に私は本を読むことも好きなので、気に入ったものを何度も何度も読み返すこともあります。読ませていただいたことに、こうして世に出してくださったことにめちゃくちゃ感謝しているもの、多々あります。どうしても感謝と感想を伝えたい衝動に駆られたこともあります。

だから私の作品も、もしかしたらそうかもしれないという親バカが発動するわけです。

私が好きで書いたものを読むことが嬉しいと思ってくれる人が少なくともここに一人(私自身)いるから他にいたっておかしくない、だから載せる!と言ったよくわからない独り善がりな善意が大きいです。

だから私が世に作品を出すモチベーションはシュレディンガーの猫のような状態です。でもそれが一番楽です。閲覧が1あるだけでその可能性が少なくとも1はあるのだし、閲覧が今0でも将来的にそうなる可能性はネットにあげていたら少なからずあるわけです。それが私のモチベーションです。

 

話が逸れました。

感想は嬉しいものだと思います。事実私も、私好みのものをもらえると嬉しいです。でも欲しい感想だけをもらうなんてことは現実的に無理なので、それならいっその事いらないと言った方が精神的に安泰だというのが私の結論です。それでもマシュマロを使用しているのは、使用している限り私好みの感想が届く可能性がゼロではないからです。いつか届くかもしれないそれを想像している時間がとても楽しいです。だからきっと、世に出して感想が来るかもしれなくて感謝されるかもしれないという妄想をするところまでが私の作品作りの好きな部分だと思います。

 

じゃあなんで「読んでください」って言うんですかって話になっちゃいそうなのですが、別にこれ感想が欲しいわけじゃないし、義理でもいいから読めよって思ってるわけでもないんです。これも「もしかしたら私のこのツイートをたまたま見てたまたま開いた人が読んで良かったと思ってくれるかもしれない」というかもしれない手法もといやっぱり心に飼った猫ゆえの行動なんです。だからそれが誰に読まれなくたって、いいねをされなくたって、Twitterに表示されたという事実だけで大満足なんです。

その猫を飼うために、私は作品を世に出して、マシュマロを設置しているのだと思います。人に求めることは苦しいです。だってあくまでもその人は私自身じゃないのですから。毎回100%私の欲しい言葉のみを話してくれるロボットは今のところ存在しません。あと、折角お話を読んでくださった人を私の道具やロボットのような扱いを、私自信がしたくありません。それなら、想像上で補った方がずっとずっと幸せです。

そんな思いが根底にあるので、私は自分自身、感想が欲しいはずなのに欲しいと言いながらもあまり求めておらず、書きたい衝動になったら感想書いて送ってね、強制しないよ、だって私は猫で幸せだから、というスタンスです。

 

というかね、私ってものすごく強欲なんですよ。例え1,000字の感想を頂いても「足りない!!もっと言って!もっともっと!!」と思ってしまうんです。これね、めちゃくちゃ嬉しいんですよ、嬉しいから麻薬で、もっと欲しくて全然足りないって求めすぎると自分がまるで餓鬼だなって思っちゃうんです。そうなると感想をくださった方にも失礼だし私だって苦しいし、感謝もできなくなるのではないかと思ってしまいます。それは私にとってとても怖いことです。

だから、感想をもらうことを、評価されることを主軸に置いてしまっては1週間と持たず筆を折る自信があります。「私のお話こんなに面白いんだからブックマーク数万単位であったっておかしくないじゃん!」とか言い出しそうで怖いです。それが妬み僻みになって他の人の作品を楽しめなくなることが嫌です。だから、私は感想を貰うことや評価されることが創作の一番の理由になったら、創作自体が嫌になる前に身を引きます。

そうならない為にも自分に言い聞かす為にも、私は感想のためじゃなくて自分が書きたいから書いているのだと繰り返し言っています。

 

シュレディンガーの猫を心に飼い続けてる限り、私は感想が欲しくてそれが原因で心が折れることは確実にないと思います。思っています。

 

感想は欲しいけど、欲しい感想は厳選したい!!私が欲しい感想だけ欲しい!!!無理なら幻覚見るからよろしく!!!

 

 

そんな向上心のかけらもない、どうしようもなく独り善がりに、趣味で絵や小説を作ってる人のお話でした。

というかお話書いてる人とは思えないほど乱雑な文だな!?と思いました。ここまで読んでくれた人がいたら、何かしら私の意思が伝わってればいいなと思います。

こんな文しか書けない奴でもでもお話書けるんですよ、文章力や語彙力が無くとも楽しめる創作の世界……楽しい…………。

 

今日はここまで!!!